元横綱の曙太郎さんが4月に心不全で亡くなったことが分かりました。
享年54歳。闘病生活は7年間。
7年前に北九州市で倒れて以来、東京近郊の病院に入院し、闘病生活を続けていました。
曙太郎さんの来歴
出身:アメリカ・ハワイオワフ島
初土俵:1988年(昭和63年)3月場所
新入幕:1990年(平成2年)9月場所
第64代横綱:平成5年3月場所
引退:2001年(平成13年)1月場所
2001年に退職後、K-1、総合格闘技などの試合に出場、プロレスラーとして活躍
曙太郎さんの横綱昇進まで
曙太郎さんは1988年、19歳の時に初土俵を踏んでから小結まで18場所連続勝ち越し。これは当時歴代1位の記録。
その後、順調に昇進を続けて1993年1月場所で3度目の優勝。
初土俵から僅か5年という驚異的スピードで外国人初の横綱昇進となりました。
横綱時代の成績は、432勝122敗166休、殊勲賞を4回、敢闘賞を2回受賞しています。
同期は若貴兄弟
同期は若貴兄弟です。
曙太郎さんと貴乃花は相撲史上に残る名勝負を幾つも残しました。
対戦成績は互角だったので、2人は最大のライバルでした。
曙太郎さんのご家族
奥さんは一般人のクリスティーン・麗子・カリーナさん。2000年に結婚。
2004年には「日本のナイス・カップル大賞」を受賞しています。
奥さんは、アメリカ人の父と日本人ハーフの母親を持つクォーターで、米軍横田基地内のアメリカンスクールで働いていた女性。
子供は娘1人、息子2人。
曙太郎さんの元婚約者
曙太郎さんは今の奥さんと結婚する前、タレントの相原勇さんと婚約していました。
しかし、その後、2人は破局したようです。
曙太郎さん 相撲界を引退後
曙太郎さんは2001年に相撲界を引退後はK-1を経て2005年からはプロレスに参入。
デビュー戦で勝利を納めた後、キャリアと実績を重ねていき、2013年9月1日付で全日本プロレスに入団。
2013年10月には3冠ヘビー級王座に。
2015年11月には新日本プロレスを退団した後フリーになり、同年12月に故ジャイアント馬場の元子夫人による全面協力のもと、新会社「王道」を設立。
その後、プロレスで活躍する一方、2014年4月には肺炎で入院、2016年1月には右下腿蜂窩織炎と右足底皮膚潰瘍で入院など、病気や体の不調で苦しんでおられたようです。
まとめ
この記事では曙太郎さんの訃報とともに簡単な経歴についてお知らせしました。
曙太郎さんと貴乃花との相撲史上に残る名勝負は今でもときどきテレビで目にします。
当時は外国人初の横綱として相撲界を盛り上げてくれました。
冥福をお祈りします。